マーヴィン・リン著『Radiohead / KID A』を読んで
- 杉山慧
- 2019年1月31日
- 読了時間: 3分
2011年に原著が出版されたマーヴィン・リン著『Radiohead / KID A』の翻訳版(島田陽子訳)が2019年1月に出版されました。
私にとって思い出深い一枚であるRadiohead『KID A』について新書まるごと使っており、物議を醸したアルバムについて、“時間”というキーワードを用いて分析した一冊です。
『KID A』は、中学・高校・大学の間、10年間ぐらい事あるごとに繰り返し聴き続けてきた思い出の作品です。それを聴いて育ってきた私は大学の時に興味を持ちマクルーハンの『メディア論』関係の書籍を読むようになりました。本作は、驚いたことに『KID A』の分析にマクルーハンのメディア論を用いているのです。私に英語ができていたら、これを8年前に読むことができていたのかと思うと同時に翻訳が出版されたことで今読むことができることに感謝しました。
私の懐かし話は置いといて。本著ではロックンローラーという幻想が生まれる背景と『KID A』がそれに対する反発とエンターテイメントが抱える矛盾をバックボーンから生まれたことの分析が、導入になっており興味深かったです。そこを出発点に、音楽が時間と深く関係しているメディアであることを浮き彫りにしていく点は、スリリングで読み応えがありました。音楽というアートフォームがその時代の録音技術の発展と共にコンセプトを変えてきた歴史的事実を基に音楽業界だけを見てもサブスクリプション時代が到来すれば音楽の供給過剰が起きることなども分析する。それだけでなく、音楽を作る行為や音楽を聴くという行為自体がもたらすの本質にも迫っている所が面白い。時間は制御できないものではない、今の社会が抱えている時間という概念が絶対的なものではないということをアインシュタインの相対性理論を用いて説明する。そして、我々の今の科学技術や社会は時間の流れは直線的であり均一であることにメスを入れる。確かに労働者は時間を拘束されることにより給料をもらったり、消費者はエンターテイメントに対して自分の時間を使うことにお金を払っていたりするなと思った。最近録画したビデオを1.2倍とか少し早送りで見る習慣がある人もいるかと思いますが、これも時間という概念が価値のあるものだという前提にたった効率を考えた行動に思いました。
本作が2019年に翻訳されたのも『KID A』が19年経った今でも影響力を持っていること証左であり、彼ら(Radiohead5人+ナイジェル・ゴドリッチを含めると6人)が、『KID A』で示した音楽性にある必然性を含め、この本で分析された『KID A』における超越(時を捉えつつ、時を越えていた)とは何かということの証明でもあるのではないでしょうか。
本著でも少し触れられていましたが、電化すること、特にシンセサイザーというメディアがもたらした変化に注目すると、音楽の大きな変化の流れが見えてくるのではないかと新たな興味が沸いてきました。
Comments